20系寝台

カトーの20系寝台はオハネが殆ど市場から消えてる状態です。家に
ある旧タイプのカトー製品と揃えても・・・銀河編成にはチト足りなかっ
たのですが、なんとかオハネを揃える事が出来ました。
今度カトーから出るヤツをリトルで予約しようとした所、上の白帯が無
いと言う事・・・たしかに20系銀河にはついてました(-_-;無知!
20系銀河
富士ぶさのセット予約はしません。高いと言うのもありますが、ヘッポ
コの中では銀河が最高だったのでやめておきます(^^;
しかし、20系なんてゴロゴロ走っていたんですよね・・・
こちらは開業初日の土呂駅に行った時、丁度進入してきた20系です。
午後だったのでブルトレの回送なのかは全く不明。
土呂
▲25年前開業初日は駅前に何もありませんでした
その帰りの大宮では10系軽量客車がいました。右にいる赤ホキも気
になりますが、アップで撮ってませんでした。何せ24枚撮りを買うのが
精一杯!36枚撮りになると値段がかなり上がりお小遣いでは買えな
いので色々写せなかったと言うのもありました(泣)
10系

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20系寝台 への13件のコメント

  1. G13型電車 より:

    今日は。25年前ですと1984年、ですかねぇ。185系の斜めストライプも眩しいですね。20系の上帯は特急用、と云う意味が在りました。急行用への格下げ時にほぼ消されて居ます。まぁ当時の塗装簡略化の一環、と云う名目も御座いましたが。
    あと大宮工(東北・上越新幹線駅の高架下)ですが、多分、当時の品川客区の事業用車代用オハフ11形では?
    2両居た筈で、念の為御調べ居たしましたら、何と尾久客区に移ってJR化後の’95年まで在籍したとの事。
    大宮工での客車検査(全般・要部ほか)入出場時の控え車として前後に連結されて居た事を自分も薄ら記憶が御座います。多分、オハフ11-2021か-2022の何れかと。結構知る人ぞ知る存在でした。
    品川に「あんなのが居るんだ」ってな感じで。優等用客車しか居ないイメージがありましたのでね。結構、駅や車中から見える位置に無造作に置かれてぼんやり見て居た気が致します。
    もしかしたら、上信越か常磐で使用の定期の車両かもしれませんが、それらは長野工か郡山工に入場すると思いますので。
    重箱のすみ突きが失礼致しました。

  2. こんばんわ
    いやぁ~
    懐かしい写真ですね。
    ネガからスキャナー経由でUPしたと思いますが…。
    一番下の写真
    今の湘南新宿ライン下り発着ホーム11番線ですね。
    以前、ピクトリアルの記事で見ましたが
    この11番線の隣、現在は無番線であるところの12番線は
    川越線発着ホームのようですね。

  3. ヘッポコ出戻りモデラー より:

    >G13型電車さん
    こんばんは。日本鉄道旅行地図帳によると1983年の
    開業なので、厳密には24年前になるようです。
    ナハフは控車でしたか。そう言えばもう客レは殆ど終
    わっていた時代ですし。

  4. ヘッポコ出戻りモデラー より:

    >南栗橋車両管理区荒川支所さん
    こんばんは。
    1990年頃までの35ミリネガは全てPCに取り込
    んでますが、ポジとブローニーはまだ取り込みが完了
    してません。
    今となってはどのホームで撮ったかすら記憶ありませ
    んが、湘南新宿の下りですか!今度降りた時見てみます。

  5. たろう より:

    いいですね、80年代!(笑)
    >土呂の20系
    20系特急は置換え前のあけぼのが最後なので
    銀河用のオクシナ回送なのかもしれません。
    まだ最新型だったPFもいいですね。
    >大宮工場
    赤ホキは社名板の位置から見ると、奥多摩のホキ9500のようです。
    検査をこっちでやってたんでしょうか?
    その時代の貨物界は今とまったく違うのでしょうから、ご存知の方がいたらじっくり伺ってみたいものです。
    それと大宮駅12番線は、非電化時代の川越線ホームですよ~。

  6. ヘッポコ出戻りモデラー より:

    >たろうさん
    先日はお世話になりました。あけぼのも20系でしたね!
    そう言う回送も可能性ありますか。そうなんです!!
    PF最新型の部類でしたよ(^^;
    ホキ9500ですか!コッチにいる時、まともに撮って
    いなかったんで悔やまれます。20年前の貨物事情も
    興味大ありです。
    そう言えば川越線は今は地下でしたっけ?

  7. やま♪ より:

     おはようございます。
     貴重な20系寝台の写真、ありがとうございます(^^。思えば小学生の頃、20系銀河が走っていたのですが一度も見に行かなかったのを残念に思います(まあ、知識がいまほどなかったのですが・・・・・苦笑)
     

  8. ヘッポコ出戻りモデラー より:

    >やま♪さん
    こんにちは~。20系はボロイのと3段寝台で乗り
    心地悪く見向きもしなかったのですが、ホント今
    思うと勿体ない事したと後悔です。

  9. G13型電車 より:

     こんちは。’83年ですか。それですと他の方も仰られる様に川越線は非電化・DC時代ですね。東北・上越新幹線高架下の地下には既に埼京・川越線の地下施設は出来て居たと思います。これは東北新幹線の高架路線を通す際、沿線が見返りに通勤新線を併設する、が条件でしたので。以前から私がそれに絡む表現で「東北通勤新線」と称すのは、東北本線の別線(バイパス)扱いで計画されて居た仮称に由来するからです(埼京線と云う名称は一般公募で決定した様な?記憶違いならすいません。名称決定前の開業告知のカラーパンフを貰って今でも何処かにしまってあります)。        又、客車は’83年ですと品川区には限らない?様な感じが致しますね。どこぞの定期入場かも?番号が確認出来ませんので何とも云えないのが残念です。   まぁその時代でしたら、旧国鉄が最後の栄華?までの頃でしょうね。以降、電車で云えば切った貼ったの大改造が始まり、貨物車両は同工場で大量に解体が始まる事になります。まぁ嵐の前の静けさ、が感じられる時期の御写真となりますね。            隅突き、御邪魔致しました。

  10. ヘッポコ出戻りモデラー より:

    >G13型電車さん
    通勤新線、懐かしい呼び名ですねぇ。今でも上尾?
    付近に行くと「通勤新線の早期着工を」みたいな
    看板を見かけます。
    次のコマが客車のアップになってまして、よく見たら
    ナハフ11 2022のナンバーでした。さすがです!

  11. G13型電車 より:

    こんにちは、失礼致します。貴方の仰るお話は確か、現在の埼京線として大宮に到達後に、現在の川越線側へ抜けるルートと高崎線・宮原駅方向へ抜けるルートに絡む誘致看板では?
     大宮発車後に、川越線側のルートへ左折するカーブ(地上への勾配が始まるあたり?)する直前に右方向へ分岐するトンネルが見えて居た様な記憶があります。確か開業当時の’85年9月30日に乗車した際に、「ああ、高崎線方面はあっちのトンネルになるんだな」程度の認識が有りました。
     旧国鉄の広報や当時の鉄道関係雑誌にもその旨の記述があったのを薄ら記憶が御座いますね。
     大宮~宮原間でこの通勤新線の用地が確保される、なんてな記述も曖昧ではありますが記憶に御座いますが、そんな用地ありましたかね?
     重箱の隅突きが失礼居たしました。

  12. ヘッポコ出戻りモデラー より:

    >G13型電車さん
    こんばんは。大宮付近、イマイチ配線が理解できてない
    のですみません。。。

  13. 今日の宇都宮線

    赤羽から 9620E・特快・高崎に乗る。 一瞬 9620Eという列番に戸惑う 夕方に熱海小田原間延長運転の特快は設定していたが 真っ昼間の9000番台Eは正直驚く。 大宮着 特快は、久喜・栗橋方面に行かないので 乗り換え 宇都宮線が来る間 これは、へっぽこ様のブログにアップしていた 大宮工場内画像の20数年後です。 工場内には 千ケヨ205・京葉グループ車 横ナハ205・2本 千

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